蕃薯厝順天宮の沿革
 
 
明永暦22年(もしくは清康煕7年、西暦1668年)、蕃薯厝で開拓に努めた洪氏の先祖、洪月が福建湄州朝天閣まで媽祖像を迎えに行き、台湾で藁葺きの廟を建てて、媽祖を祀ることにしました。その媽祖像は国内で唯一現存する最古の湄州朝天閣の立ち姿の媽祖像であり、この蕃薯厝順天宮媽祖廟は人々に「蕃薯寮媽」として親しまれています。順天宮は最初、朝天宮と名付けられましたが、北港の天后宮が清道光年間に朝天宮に改名したのち、混同を避けるために、媽祖の指示を請って、蕃薯厝朝天宮を蕃薯厝順天宮に名を改めました。時はちょうど清咸豊年間であり、その後順天宮が幾度かの改築や修繕を経て、現在は雲林県水林郷において歴史が最も長く、参拝客の人数が最も多く、そして信者の地域が最も広い媽祖廟となり、神威が輝かしく、名も知れ渡っています。中でも特に人々に興味深く語られている話は、1999年の台湾大地震の際、蕃薯厝媽祖のおかげで、その年、無事息災を祈る大亀の祭典の世話役に当たっていた建築業者の林氏は、地震被害地で手かげた建築物も工事のスタッフも何も被害を受けませんでした。そのほか、蕃薯厝順天宮の所在地は農村であるにもかかわらず、多数の優秀な司法官を世に出しており、対人口の比率が高く、たびたびマスコミに報道されています。すぐれた土地が傑出した人物を生み出すという言い伝えの通り、その土地が人材を輩出していることについて、これは順天宮の媽祖の力によるものだと信じられ、台湾全域でその名を馳せています。また、毎年の元宵の節句の頃、つまり旧暦1月15日、16日、17日の夜、三日間続いて年に一度の媽祖の徹夜巡行祈安行事が行われます。その他、平安亀(亀の形に作った赤まんじゅう)請いや輿の下をくぐる行事なども行われます。百年以上続いているこの祭典が行われる三日間の夜、水林郷蕃薯厝に多数の人が訪れ、にぎやかな町に変身します。水林郷からよその町に出た人たちや各地の媽祖の信者がこの町に集まり、花火を打ち上げて媽祖をお迎えするので、夜の空がきれいに照らされ、まるでフェスティバルのようです。この巡行行事の習俗と方式は、他の地域の媽祖巡行とは異なり、時間・空間の変化を経ても、伝統的な特徴をなお保っています。そのほか、毎年旧暦三月、林黙娘天上聖母(媽祖の別名)の誕生日の前や休日でも平日でも、各地の廟から参拝団体や個人の参拝者が集まってくるので、とてもにぎやかであり、水林郷では重要な宗教事業となっています。


蕃薯厝順天宮の住所:中華民国(台湾)雲林県水林郷蕃薯厝102号
電話番号:(05)7841621、(05)7842667